簡単なそろばんでも高度な知能の脳システムが活性化

――幼児からのそろばんの薦め――
 

そろばんを実際にするとき、脳のどこが活動するのか、これまでよく分かっていませんでした。そこで、そろばんで計算すると脳のどこが活動するのか、若い人たちで調べてみました。調べた人たち(6人、24歳前後)はそろばんを少しだけ習ったことがあるだけで、熟練者ではありません。そのため、いわゆる「俳廻転入(繰上げ、繰り下げ)」がない計算で、幼児でもできる簡単なそろばん計算を行ないました。(なお、脳領域の名称は最初の図参照して下さい)。 若い人が足し算や引き算などの単純な計算を暗算ですると、脳の頭頂葉と前頭葉が主に活動することは以前から分かっています。ただ、そうした単純な計算の場合、主に左脳が活動します。 ところが、そろばんの場合、3桁の非常に簡単なそろばん計算でも、左右の頭頂葉と前頭葉が活動することが分かりました(図1)。そろばんを使わないで難しい暗算をすると、左脳に加えて右脳も活動することは多くの研究で示されてきましたが、ごく簡単なそろばんで左右の頭頂葉と前頭葉が強く活動することは驚きです。

そろばんでは手を使いますから、右手でそろばんをするときには左脳の運動関連領野や体性感覚関連領野が当然ながら活動します。ところが、活動するのはそういった領域だけではありません。左右脳のどちらでも、前頭連合野(前頭前皮質)の後方の領域(8、9、そして44野)と頭頂連合野(後部頭頂皮質)の一部(7野)が活動します。 5桁のそろばん計算でも同じような領域が活動しますが、3桁のそろばん計算よりも5桁のそろばん計算ではより多くの脳領域を使うことも分かりました(図2)。運動関連領野や体性感覚関連領野も活性化しましたが、注目すべきなのは前頭連合野の領野群(8、9、10、44、45、46野)と頭頂連合野の領野群(7、39、40野)が左右の脳で著しく活動したことです。 前頭連合野と頭頂連合野で活性化したこれらの領野は全て高次な領野です。今回のそろばん計算は幼児でもできる簡単な計算にも関わらず、桁を少し多くしただけで、高次な領野が左右の脳で活動するのです。 近年になって、これらの領野がつくる神経システムがさまざまな知的作業にとても重要であることが分かってきています。この神経システムは前頭連合野と頭頂連合野の高次領野群がつくるので、「前頭連合野-頭頂連合野システム」といいます。そろばん計算をほんの少し難しくするだけで、この神経システムが活性化するわけです。

この前頭連合野-頭頂連合野システムが担う知的作業は多くありますが、中でも重要なのは「一般知能(gFまたはg)」です。gFは、さまざまな知的作業に共通して使われる大切な知能です。 gFは日本ではなじみが薄いかもしれませんが、欧米での多数の研究や私たちの諸研究で、gFが子供での学力や成人での社会的成功(良好な仕事や結婚、高収入、社会的地位など)と密接に関係することが分かっています。交通事故死や病気のかかり難さとも関係します。gFは知能指数IQと似ていますが、IQとは異なって、人生や生活に深く関与するのです。そのため、欧米では「最も伸ばすべき知能」とされています。 そろばんによってgFを担う前頭連合野-頭頂連合野システムが活性化することはほぼ間違いありません。したがって、そろばんを習うことでgFが高まり、学力向上や社会的成功に結び付くことはありそうなことです。gFはさまざまな知的作業で共通して使われるので、知的能力を全体的に向上させることもできるはずです。しかも、今回調べたような俳廻転入のない3桁や5桁のそろばんは幼児でもできます。前頭連合野と頭頂連合野は5歳くらいをピークにして10歳くらいまで大きく発達しますから、幼児からそろばんをすれば、この神経システムが豊かに発達することはありそうなことです。こうした点をきちんと証明するには今後の研究が必要ですが、そろばんを幼児から習うことが脳と知能の発達にとって非常に有益なことはまちがいありません。

プロフィール

 
澤口俊之
「人間性脳科学研究所所長 武蔵野学院大学&大学院教授/北海道大学医学研究科元教授」
京都大学理学研究科博士課程修了(理学博士;Ph.D)、日本学術振興会特別研究員、米国エール(Yale)大学医学部研究員、京都大学霊長類研究所助手などを経て、1999年に北海道大学医学研究科教授に就任し、2006年に同職を自主退職してから人間性脳科学研究所(Humanity Neuroscience Institute, HNI)の所長に就任。
2011年9月から武蔵野学院大学教授、2012年4月から同大大学院教授(併任)も勤める。